東豊線の概要

東豊線全般に関して説明していきます。 一部引用元を明記した上で他からの情報を引用してくることもありますが、基本的に自分の記憶を頼りにして作っていますので、もしかしたら間違いがあるかもしれません(そのときは申し訳ございません。また、間違いを報告していただきますと、こちらとしても非常に助かります)。

東豊線について

福住駅の2番ホームで撮影した、7000形701号車の7801です。ようやく701号車も撮りなおすことが出来ました^_^;[2006年 8月26日撮影] 福住駅の2番ホームで撮影した、7000形703号車(7103)です。[2006年 6月10日撮影] 福住駅で撮影した、7000形3次車の716号車(7116)です。1・2次車とカラーリングが若干異なり(4色のSTマークもペイントされている)、LEDによる行先案内表示があるのが確認できるかと思います。[2006年 6月24日撮影]
(順に、701号車[1次車]、703号車[2次車]、716号車[3次車]。7000形車両のページと同じ写真で申し訳ございませんm(__)m 違う写真を撮影次第、入れ替えたいと思います。)

昭和最後の路線

東豊線は、1988(昭和63)年12月 2日に営業を開始いたしました。 (地味に、昭和最後に営業を開始した路線です^_^;)

元々、東豊線は南北線の建設当初の計画にはない路線でした(南北線北24条⇔麻生間延伸の際に初めて提案された様です)。 ですが、現在東豊線が通っている付近の道路は通勤時間帯ともなるとかなりの混雑で、バスでの輸送も全然追いつかない程だったらしいです。 そこで、東区にも新たに地下鉄を引こうではないかという動きが一部で出てきて、東豊線の敷設が検討され始めました。

しかし、当時の東区はまだそれほど開発されていた訳ではなく、特に、栄町付近は農地が広がっていたような状況だったみたいです(現在もタマネギ畑が残っていますが.....)。 そのようなところに地下鉄を通して大丈夫なのかという批判も一部あったようですが、結局、栄町⇔豊水すすきの間の建設が着工され、前述の通り1988(昭和63)年に開通いたしました。

建設時の問題点

ただ、東豊線の路線を造る際に様々な問題が発生したようです。 以下に箇条書きで並べてみました。

  1. 建設ルート・接続駅(南北線北部と平行になっている区間はどれだけ南北線と距離を離すか、東豊線は大通駅と接続するのかどうか、東豊線側のすすきの駅は南北線のすすきの駅と接続するかどうかetc.....)
  2. 地盤(建設する場所の地盤が悪いために何らかの対策が必要になる、地下深くに建設しなければならないetc.....)
  3. 車両基地(北車両基地を建設するための用地取得が不能になった→西車両基地程度の小規模の車両基地にすることも検討されたが、不可能になった→東西線と接続して、西車両基地を東豊線の車両基地とすることになった→北車両基地は結局栄町検車線へ)

南北線は、ある意味オリンピック路線ですから短期間で開通できましたし、東西線は当初から開通させる予定だったのですんなり開通しましたが、東豊線に関しては、そうスムーズにいかなかったようです。 ある程度かいつまんで説明したいと思います。

路線建設に関して

東豊線を何処に通すかという問題もありましたし、接続駅をどうするのかという問題もありました。 結局、現在のように北側は東15丁目を通る形となり、接続駅はさっぽろ・大通駅ということになりました。

東豊線のさっぽろ・大通・(現)豊水すすきの駅の南北線との接続に関しては、当初は現在より東側のルートを通ることも検討されていたため、新駅を造ることも考えられていたようです。 結局さっぽろ・大通駅は南北線と接続することになりましたが、豊水すすきの駅に関しては、駅の名称と絡めていろいろと問題があったようです。 (当初南北線のすすきの駅に直結する案もありましたが、新駅が設置される豊水地区にまですすきのの歓楽街が及ぶことが懸念されたため、結局互いに独立した駅となり、名称も「豊水すすきの」となりました。)

また、東豊線南部を開通させる際、とりあえず福住まで延長することが決まりましたが、その当時は、福住駅からは国道36号線でなくカーブして北野通の地下を走行させ、「共進会場」(月寒アルファコートドーム(旧称:月寒グリーンドーム)のこと)・「月寒東」・「北野」の3駅を延長する予定でした。 しかし、札幌ドームが羊ケ丘にできることになり(元々は、現在の札幌コンベンションセンター(旧国鉄東札幌駅跡地)付近に、通称「ホワイトドーム」と呼ばれるドームを作る予定でした)、東西線琴似〜宮の沢延伸時あたりに札幌ドーム駅を建設する案がありましたが、現在見送られています。 ただ、福住駅奥の留置線は、北野通に向かって建設しやすいように、終端部が福住へ向かう方向から見て左にカーブしていますので、その場合は、その部分の方向修正も含めて再度工事しなければならないでしょう。

車両基地に関して

元々、東豊線は栄町の北部に北車両基地を建設する予定でした。 しかし、地元住民の反対により思うように用地が取得できなかったため、結局そこに車両基地を設置することは出来ませんでした。 また、当時は栄町⇔豊水すすきの間の建設でしたが、当時既に豊水すすきのの南側以降も延伸する予定だったので(実際、豊水すすきの駅の南端部は、延伸工事に対応できるような処置を施しております)、南側に車両基地を建設することは出来ませんでした(そもそも街中ですので、用地取得も困難でしょう)。

そこで、東豊線と東西線とを連絡線で繋いで、東西線にある西車両基地を東豊線の車両基地にするという案が出てきたというわけです。 当時、東西線は東車両基地と西車両基地とで半数ずつ車両を留置していたため(西車両基地より後に作られた東車両基地は全検など大規模な検査が行えましたが、東西線に当初からあった西車両基地は、東車両基地が完成した後は、全検等を行うための機械類が使用されずに一旦撤去された状態になっていたようです)、まずは東西線のほうを何とかしなければなりません。

そのため、まず東車両基地を増築して、東西線の全車両が東車両基地で留置できるようにした後、西車両基地で東豊線の全車両を留置できるようにしたというわけです。 ただ、全検等を行うための機械類は、東豊線開通から2〜3年経過した時に再度利用できるような状況になったようです(それまでは、東豊線の車両の全検は東車両基地まで(本来ATO(AVC)で回送すべき区間も)手動運転で回送して行われていたらしいです)。

設備面の違い 〜時代を反映〜

東豊線も、南北線・東西線と同様に、コンピューターによる運行状況の自動管理(CTC[Centralized Traffic Control] : 列車集中制御装置)や、走行している区間ごとに決められている速度を超過すると、自動的にその速度まで落とす仕組み(ATC[Automatic Train Control] : 自動列車制御装置)などが導入されています。 当初は東西線のようなATOによる運転や、自動回送等も検討されたようですが、東豊線北車両基地の建設中止や、東西線の自動運転取りやめ等もありまして、その話も自然消滅していった模様です。

ホームに関しては、初期開通部(栄町〜豊水すすきの)は栄町駅の島式ホームを基準にして、島式・対向式・島式・対向式・………という形で建設されました。 また、延伸部(豊水すすきの〜栄町)の駅は、建設費削減のために全て島式となっております。

初期開通部に関してはバブル期に建設されたため、駅構内・ホーム共に広めのつくりとなっております(しかも、建設時の利子が高くついております)。 ですが、延伸部に関しては、建設費節約の為にホームを6両分が入る大きさしか造らず(残り2両分は、後々増築できるように土台は組んであるが、未だに着工されていない)、しかもホームの幅を今までより狭くし、建設費の削減に躍起になっていたようです。 やはり、時代を感じます.....

なお、元町駅北部には、緊急時に車両を1編成留置できる元町留置線があります。 また、美園⇔月寒中央間に関しては、一般住居の真下も通過することになったため、地上から地下まで地面を掘る一般的な地下鉄を建設する手法(開削工法)ではなく、山岳トンネル工法(NATM)という方式がとられました。 これは、地下を掘り進める際に圧力をかけながら同時にコンクリートで固めていき、地圧によって崩落を防ぐというものです。 そのため、該当区間の大部分は間に支柱はありません。

ただ、実際に乗車していると、体感的には通常の区間より遅く走行しているような感じです。 (そもそもその区間はちょうどカーブに差し掛かりますので、最高速度(70km/h)は出せないと思いますが.....)

2〜3号連絡線

先程述べました通り、東豊線と東西線を接続する必要があったので、新たに2〜3号連絡線を設けました。 この連絡線はさっぽろ駅南部と大通駅西部とを繋ぐ連絡線で、東豊線の回送車はこの連絡線を通過することになります(実際に通過する際は、東西線・東豊線両方の指令所に連絡をとって通過することになるみたいです)。

また、東豊線との接続部は、当時は東豊線が開通していなかったので何の影響も無く工事できましたが、東西線との接続部に関しては東西線の運行を止めないといけない事態になってしまいました。 そのため、1987(昭和62)年に東西線の大通⇔西11丁目間を始発から全面運休し、大通⇔新さっぽろ間と西11丁目⇔琴似間の折り返し運転で運行されたようです(西11丁目⇔琴似間は、両線を用いたピストン輸送だったようです)。

駅設備・デザインに関して

ホームの形式

東豊線は、現時点では全てで14駅あります(2007年現在)。 ホームの形式は以下の通りです。 (ホーム : 黄色 / 走行路 : 灰色)

ホーム電光表示板 (電車接近表示器)

ホーム電光表示板 (電車接近表示器) [月寒中央駅 / 2007年 3月 2日撮影]

東豊線開業時、東豊線各駅のホームに設置されました(後に、福住駅等、一部の駅の改札機付近にも設置されました)。 このホーム電光表示板は、後に南北線で導入されたものとは異なり、LED表示部の下に行き先表示がセットで取り付けられました。 写真では時計がついておりますが、時計がついていないタイプもあります。

写真のSTマークの部分に関しては、当初は「→」となっておりましたが、その後、6000形車両上部のマーク(北海道のマークの上にSの文字がのっかっている)となり、福住まで延伸された際に現在のSTマークになったようです。

このホーム電光表示板に関してですが、福住延伸以前は、2つ前の駅を発車した時点で「豊水すすきの行は2つ前の駅を発車しました。」というような文言が表示され、到着直前になってから「豊水すすきの行到着します。」という感じで表示されたようです。 その後、福住まで延伸された際に、現在のように「福住行は前の駅を発車しました。」と、前の駅を発車したことに関しても表示されるようになったようです。

さらに、2007年 3月、東豊線大通駅のホームに設置されていたホーム電光表示板が、東西線に設置されているタイプとほぼ同等のものに交換されました。 (もう少し厳密に言うと、一度に全ての電光表示板を交換したのではなく、2回に分けて交換されております) これにより、表示が変化する際に鳴る「ピンポーン」と言う音が、今まで東豊線で鳴っていた音とは若干異なるものになりました。

車両に関して

(車両の写真は、このページの上部に掲載しております)

開通時、7000形1・2次車が4両15編成(71XX・72XX・73XX・78XX)導入されました(1次車は701号車、2次車は702〜715号車)。 その後、延伸時に新たに7000形3次車(4両5編成)を導入いたしました。 機能面等は基本的に6000形を踏襲しましたが、その中で、3次車のように適宜新機能(ドア上部の各駅案内)を追加したようです。

東豊線のシンボルカラーであるスカイブルーを基調にデザインされ、車内には6000形と同様に絵が描かれた化粧版が採用されました(ただし、6000形と比べると地味で、あまり目立たなくなりました)。 特に、3次車は、いくつかのデザインの候補(4〜6種類ぐらいだったかと思います)の中から市民の公募によって決定されましたが、何故か一番人気が無かったデザインが採用されております。

7000形は、後尾車両が「78XX」となっていることから、最大で8両まで対応できることが容易にうかがい知れますが、実際は、現時点では延伸部のホームが6両分しか造られていないため、追加工事をしない限り6両が限界となる状況です。 しかし、開業以降車両増結の気配は今も全くありません。

ただ、過去に延長部開通に伴う7000形1・2次車の機器類移設や、専用席の位置修正等の改造が施されてきました。 最近では、ノルディックスキー世界選手権で訪れる外国客のために、2007年 1月から7000形にも自動放送が全車両にて導入されました。 今どきのことなので、東西線の車両置換・ワンマン化や、後々控えている南北線のワンマン化等が注目されがちですが、東豊線の今後の動向もきちんと見ていく必要があると思います。

ある意味幻の「さっぽろ行き」

前述の通り、東豊線は2・3号連絡線を通過してさっぽろ駅に入線するため、「さっぽろ発栄町行き」というものが今でも存在しております。 これは単純に出庫車両をそのままさっぽろ駅始発にしただけのもので、こちらは現行ダイヤ(2007年 7月改正)において以下の時間帯に運行されております。

この回送車両は東西線を通過するので、東西線でも東豊線の車両が走行されているという光景を見かけることが出来ます(実際、東豊線の回送車は、東西線の車両が走行している合間に入って回送運転を行うことになります)。 特に、2003年 4月改正ダイヤにおける土日祝ダイヤの19列車に関しては、過去に私の方で14時35分頃に西車両基地から西28丁目に到着することが確認できています。 ということで、西車両基地⇔さっぽろ間に関しては、およそ15〜20分程度回送運転されているということが推測できます。

もちろん、「さっぽろ発栄町行きがあるのだから、逆の栄町発さっぽろ行きもあるのではないか」という話になっていくわけですが、確かに、開業当初はそのような車両が運行されていたようです。 この「さっぽろ行き」の車両が運行される際、黄色地に黒字で「さっぽろ」と書かれた札のようなものを、車両全面の中央部(白いテープが貼られている場所)に貼って運行していたようです。 ですが、乗客からの評判が悪かったために、1992(平成4)年のダイヤ改正(乗車人員が少なかったために、このときのダイヤ改正で減便されたようです)をもって消滅したようです。

さっぽろ行きが消滅した後は、全て豊水すすきのまで運行してからさっぽろ駅の手前まで回送し、そこでスイッチバックして2〜3号連絡線に入り、西車両基地に入庫したようです。 そして、福住まで延伸された際に現行の回送形式(栄町まで運行した後、折り返して栄町〜さっぽろ駅・2〜3号連絡線・西11丁目〜西28丁目を経由して西車両基地へ回送)となったみたいです。

東豊線の今後は如何に?

東豊線ができるまで、また、出来てからも建設時の高利子や乗員が少ない等、様々な問題が浮き彫りになっておりますが、(あえて東豊線の沿線にしたようなものですが)東豊線沿線につどーむ(栄町)やきたえーる(豊平公園)、札幌ドーム(福住)等の施設が出来たことによって(特に札幌ドームが出来たおかげで)、近年では東豊線の乗客が増加傾向にあるようです。 福住駅は、開通時から車両を留置線に回送してから再度ホームに入線して栄町行きとして再度運行される形でしたが(麻生・新さっぽろ・栄町もそうです)、札幌ドームが出来てからはホーム折り返し((原則2番ホームに)到着した車両をそのまま栄町行きとしてホームに滞在させ、運転手と車掌が前後を入れ替えて栄町行きとして運行する)になりました。 特に、大規模イベントの開催時には、2,3本程度ではありますが臨時列車が運行されるようになったぐらいです。

さらに、東豊線沿線のマンション建設も徐々に進んでいるようで、札幌ドームでのイベント効果だけでなく、普段の生活路線としての需要も徐々に高まりつつあるようです。 ただ、未だに4両編成のままなので、今後さらに発展していけば、ワンマン運転に対応させなければならないとき等に車両が増結されることも、無きにしろ非ずといった感じでしょう。

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最終更新日 : 2008年12月28日()
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